Tivoli & Tivoli-Garden I

文化施設チボリと少年少女音楽隊チボリガードのおはなし(1)

デンマークの1月は静寂な月です。クリスマスを迎える喜びが一ヶ月余り続いた後、年越しの賑わいが台風のように通り過ぎ、元旦を迎えた翌日1月2日から日常的な生活に戻ります。ハレの日をたっぷり楽しんだ後の普段の暮らしには、自らの社会的な位置や役割を確認できる安心感があるのかもしれません。1月の静寂さは安らぎに満ちています。

寒さはさらに厳しくなりますが、1月半ばには、日の長さが長くなってきていることがはっきりします。春への兆しです。

真っ暗な中を通勤通学していた朝の時間に、明るさが戻っていることに気づく日、朝を告げる「くろうたどり」の囀りが聴こえる日、暗いばかりだった日々の中、朝焼けや夕焼けに遭遇する日があると、何とも言えない喜びが心に灯ります。そして、これから美しい夏に向かっていくことへのありがたさをしみじみと感じるのです。

今年の暮らしに関するおはなしは、デンマークを代表する文化施設チボリと、そこで活躍する少年少女音楽隊チボリガードに焦点をあてたいと思います。

チボリとの出会いは、デンマークを初めて訪れた1987年でした。デンマークの家庭で4週間の素晴らしい休暇を過ごさせてもらった最後の日、朝早く、4時間以上かけてコペンハーゲンまで車で移動しました。人魚姫の像を見て、アマリエンボー王宮を通り抜け、チボリに到着したのです。遊園地には行かなくてもいいのだけど、と言ったところ、チボリはデンマークの文化だから外したらダメだと言われました。そして、チボリを象徴する風船の形をした観覧車に乗り、古風なメリーゴーランドに乗り、美しい庭を愛でて、空港に向かったのです。

その後、デンマーク語を学び、コペンハーゲンで仕事に就きましたが、職場がチボリの前だったこともあり、チボリでの散策が日課になりました。美しい庭に爛漫と咲く花も素敵でしたが、すっかり魅せられたのは、夕方から夜にかけての時間帯。異国情緒たっぷりの建物や街路樹が色とりどりのガラス照明に彩られた美しさと、そこに漂う独特の雰囲気は圧巻でした。

それからさらに数年が経ってから、チボリは時代を先駆けてきた文化スポットで、さまざまなエンターテイメントや食が楽しめる場所として不動の地位を築いているという文化的な位置付けがようやく鮮明になりました。

乳母車に乗って、両親や祖父母と一緒に正門をくぐる「チボリ・デビュー」の日から、最初にアトラクションを利用する日を迎え、家族や親族の記念日や年に一回の定例行事のために訪れ、12月にはバレエ「くるみ割り人形」を観に行っていた場所が、いつしか大切な人と出会う場所になり、結婚式を挙げ、我が子と一緒にチボリの正門をくぐる、というように、人生の節目にチボリが関わっている人が多いことも、チボリの特徴です。杖をついて、毎日の散歩を兼ねてチボリを訪れ、園内で楽しんでいる人をベンチに座って嬉しそうに眺める年配者も常連客です。チボリは、180年近くの間、数えきれない人々の人生に寄り添ってきたと言えるでしょう。

上質のエンターテイメントや食などを「楽しむ」文化が存在するだけではなく、その文化を通じて、人間性や社会性、芸術感性などを「育てる」文化を持っている点が、一般のアミューズメントパークと大きく異なる部分ではないかと思います。

チボリに行くのだから、この服、チボリでのお食事のときはコレ、など、それぞれの家庭で、チボリでの「お約束」が存在してきたのも、チボリの特別感や「育てる」文化を物語っています。

さて、チボリへの理解がさらに深くなったのは、息子に起因します。8歳でクラリネットに興味を示した息子に、管楽器を習うのなら「チボリガード」という少年少女音楽隊がよいと、音楽家の隣人に勧められました。チボリを母体とし、おとぎの国から抜け出たような姿でのパレードで観客を魅了する子ども音楽隊は、デンマークを代表する音楽学校という顔を持っていたのです。

少年少女音楽隊チボリガードは、1844年、チボリ創立一周年の祝賀記念として、園内で護衛を行う少年衛兵隊として創設されました。正門やチボリ園内の建物の前でお客さまをお迎えしていた護衛兵は、太鼓や笛を演奏する少年鼓笛隊に発展し、後には管楽器も加わって、現在の吹奏楽団が生まれました。

小さなお姫様と王子様が乗った金の馬車や馬車を操る御者、大きな大砲を担当する部隊、海兵隊などが活躍した時代もありましたが、現在は、創立当初からの伝統を引き継ぐ「鉄砲隊」(定席20名)、最年少グループでマーチ太鼓とピッコロでの暗譜演奏を担当する「鼓笛隊」(定席20名)、年間で80曲以上を演奏する吹奏楽オーケストラ「吹奏楽隊」(定席54名)の3部隊からなっています。

王立近衛兵の祝賀装束をお手本にした制服は、2021年に150周年を迎え、記念記章が発行されました。アンデルセンが綴った童話「錫の兵隊さん」そのものの姿は、デンマーク文化を具現化していると評され、チボリ園内だけではなく、国内外の祝賀式典などにも招聘されています。

チボリガードには7歳から入隊することができ、1年ほど担当楽器とマーチングの練習を重ね、鼓笛隊でデビューする形が一般的です。吹奏楽隊の空席状態の有無で、鼓笛隊から吹奏楽隊に移籍するケースと、鉄砲隊を介して吹奏楽隊に移籍するケースに分かれます。鉄砲パフォーマンスに憧れて入隊し、鉄砲隊一筋の子どももいます。

150年の間、4月から9月の夏季半期のみ開園していたチボリには、10月に始まり9月に幕を閉じる「チボリ暦」が存在します。チボリガードも「チボリ暦」で活動しているのですが、16歳になる年の夏季開園の最終日に引退する慣わしになっています。

デンマークでは、16歳になる年の6月に義務教育を終える子どもが大半なので、夏休みを挟んで進学したり充電したりと、新しい道に進む仕組みに準じた区切りなのです。

チボリガードを卒団した子どもたちの多くは、音楽に特化した中等教育を経て、音楽大学や音楽に関連した職業に進みます。デンマークで管打楽器の演奏を職業とする人の25%は、チボリガード出身です。チボリの「育てる」文化を象徴していますね。

世界的に大ヒットしたタンゴ楽曲「タンゴ・ジェラシー」を作曲者ヤコブ・ゲーゼ、国際的ベーシスト、クリス・ミン・ドーキーもチボリガード出身の音楽家です。

2015年に「カール・ニールセン国際室内楽コンクール」で1位に輝いた新進気鋭のアンサンブル「カール・ニールセン・クインテット」もチボリガード出身のメンバーによって結成されました。来たる2023年4月には日本での親善公演を予定しています。

現役チボリガードの息子は、9歳でクラリネットとマーチ太鼓、マーチングの練習を始めました。熊の毛皮で作られた帽子や銀の縁飾りがついた祝賀を象徴する赤いウール製のジャケットに身を包み、チボリガードの一員として年間100回以上の公演に参加しています。

1年間の基礎練習の後、マーチ太鼓で制服デビューした息子は、吹奏楽部の空席の関係で、翌年に吹奏楽隊の第二クラリネットに移籍、その後、第二クラリネットを3期務め、バスクラリネットと第一クラリネットを担当しました。

今期は最終学年ということもあり、鼓笛隊のリーダーでもあり、チボリガード総勢パレードの先頭で1894年から使われている指揮杖を手にパレードを指揮する「鼓手長(こしゅちょう)」を務めています。

先月はクリスマス開園で賑わっていたチボリですが、今月から3月まで一部を除いて閉園しています。営業しているのは、世界的に高い評価を受けているスモール・ラグジュアリーホテルNIMB HOTEL(ニム・ホテル)、美しいパティスリーCakenhagen(ケーケンハーゲン)、質の高いエンターテイメントが催されるチボリ・コンサートホール、そして、チボリ・フードホールです。レストランやバーなど、ホテルに併設されている施設も利用できます。これらのラインアップは、チボリの中核を象徴し、コペンハーゲンっ子の1月から3月までの楽しみ方を裏付けているように感じます。

美しい庭園やエンターテイメントや食事を楽しんでいた一般来訪者から、チボリの雇用者兼音楽学校の生徒の保護者と立場がシフトし、チボリとチボリガードへの理解に多面性が生まれました。今期で卒団する息子を通じて蓄積した情報を、今年一年、読者の皆様と共有したいと思います。

引き続きのご高覧、どうぞよろしくお願いいたします。

文: くらもとさちこ
写真撮影: Jan Oster

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